WJ49日目/今夜はブギーバック考

いつもの場所。

最近、今夜はブギーバックを聞いている。
ついこのごろの歌だと思っていても、既に10年以上前の歌になってしまった。
たくさんの歌手が独自のスタイルでアレンジを変えて歌われ、
随分手垢のついた曲になったと思うところもあるが、
それでも歌の持つ魅力が色あせないところがこの曲の素晴らしいところで飽きが来ないし、
当時とはまた違った感じ取り方ができるところもあって、
たくさんのアレンジや歌い手違いを集めてネットヲークマンに入れてドライブのお供にしている。


こればかり聞いていて気づいたことに
この歌にはどうも3つの時間と1つの歌があるようで、メモ。
1 「あの頃の僕らの心のベストテン第1位」…ゲップでみんなにこんにちわ時代。
2 「その頃も僕らを支えていたのはこの曲」…しびれたなけたほれたみんなコピレ、メイクマネーな時代。
3 この二つの時代を包括して一人称で振り返ることのできる現在。
※ 『24小節の旅の始まり』では、1と2の時代を踏まえて、3の視点から
  今現在でもこれまでと変わらず、その歌でロックし続けると名言している。
ここまでが3つの時間。


たぶんこの歌の真の主人公が過ごした時間。簡単に言うといラップの部分。
それとダンスフロアーに華やかな光〜の歌いだしで始まる歌。
これはたぶんラップの主人公に取ってリアルでない世界。
でも、この歌の作り手が聴かせたい歌として作ったのはこちら。
主人公が過ごしたどの時代にも通奏低音のように流れたその歌があるってことっすね。
時代の移り変わりに伴って、歌の持つ意味合いが主人公の中で変化してくのを考えるのも面白いかも。
とりあえず3の時代にたどり着いた現在、この歌を聴いた時主人公がどのような心情でいるかを
思い浮かべて鑑賞できれば文学的(国語のお勉強的)に正解かな?


でも、この手の歌のラップはあくまで歌の添え物なので、
ナイスボーカルが優れた歌であることを補強し、説明する存在としてあるのだろう。
と見るのが妥当なんだろうなぁ〜。と僕は思う。
そうなると、国語のお勉強的に正しい解釈は
この歌を雰囲気で聞くとなるとあまり意味をなさないし、
かえって野暮になる。


ところで、現在、車のCMで流れる新しいアレンジの「今夜はブギーバック」のラップの部分がない。
歌の中に回顧する存在がないことから、
新たに「あの頃の心のベストテン第1位」や「僕らを支えた歌」なれる可能性を持って存在しているけど、
詩的、文学的に平板で奥行きがなくなり、国語のお勉強的面白さは随分減ったと思う。


で、WJ。
雨はお昼過ぎに、雪へと変わるだろう…というか変わりました。
あの場にいたみんなテンションあがったなあ。
意味もなく叫んでいた。
雪降ってるのに、冷水の中に飛び込む…みたいな。
ちょっと内ももが痛くなったのとタイヤを替えないとヤバイ的な雰囲気を感じて、
2時くらいに撤収。
帰りに道路の温度計を見たら3℃。
フリースタイル具合にマジなけったす。
溝がなかったので買いました。5シーズン目の冬タイヤ。
これもこれでマジなけたっす。

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