式が終わって

d4132008-11-23

 まず、第一声。漸く終わった。式でお世話になったスタッフの人たちや来てくれた人に是非この場で感謝したい。心もとない新郎新婦の式がそれなりの形を伴い、無事に終わることができたのはこの式を通して関わった様々な人たちの尽力があってのことだと思う。ありがたい。そういう力添えがあってこそ、自分たちらしい式ができたのだと思う。


 そんなことと一緒に朝起きてから、ぼんやりした頭で昨日を振り返った。特に主賓の祝辞の内容を振り返った。第一はお互いに興味を持つこと。第二が肝要でお互い分からなくてよいことや知らなくてよいことは無理に分かろうとせず、分からないままなら分からないまま、知らないなら知らないままにそっとしておいてもよいということ。過剰を旨とし、手数を増やすことが推奨されやりすぎないとならない世の中だから、そういう奥ゆかしい微妙な態度は保持しずらい。言うは簡単、行うは難しい類の仲間だろう。自分にそれができるだろうかと自問自答した。
 遠巻きながら自分もこれに近いことを自分なりに考えていた。ただ、このようにはっきり言語化でなかった。探していた考えの答えを期せずして昨日は得ることができた。残してくれたのは1週間ほど死線をさ迷った支店長だ。こちらの線に戻ってくることはついに叶わず、昨日、急逝された。そんな折、この祝辞は我々のために残してくれたこの最期の言葉・祝辞は重い。


 思い出して支店長らしい、東北出身の人らしい言葉だと思った。おそらく死ぬ前の病床で書いた祝辞の内容だろう。朴訥な語り口が語りそうな内容だと振り返ってみる。ここ数週間の出来事を重ねてみればおろそかにできない重さがある言葉だと思った。
 仕事での立場がかなり離れていたことから、かかわりが薄かった人の存在感がこの表意性と標章性の関係から、我々に取って決して忘れてはならない存在になった。
 思い出を語るのは陳腐になるので多くは書き残さないことにしても、彼とのここ数ヶ月の短い記憶は記憶のどこかにとどめておきたい。


 そうこうしているうちに、チェックアウトの時間となり、スイートルームからの景色は見納めする。ここからの景色はもう二度と観ることはないだろう。新潟の景色を観れるのもあとわずかかもしれない。この結婚を境にいろんなものが渦巻いて我々を飲み込もうとしている。
 最終日になって、曇りとはいえそれなりの景色が見れた。最後の最後のまで天気に恵まれず、曇りなのが自分たち夫婦の関係性や未来を象徴しているかのようでまたそれもよろしいと思った。


 と言うことを考えたら、後で話を聞くと部長が考えた挨拶だったらしい。勝手に感傷に浸ってしまった。


 以後、メモ。
 午後、内祝いの品を買いに伊勢丹に行く。


 明日からの職場は出勤が気恥ずかしい。


 丹治も今日、結婚した。それぞれの長かった青春が次々に幕を閉じていく。そんな晩秋。