漱石散策

 早めに宿を出て、漱石ゆかりの土地へ。牛込柳町駅から漱石山房を目指す。このあたりは小路が複雑に入り組んだ住宅地で坂が多く、趣深いたたずまい。住宅が密集しているから、地震や火事があったらさぞ大変なことだろう、こんな立て込んだ場所は自分が住むのは無理だと思う。繁華街やビジネス街だけでなく、こういう住宅街も東京なのだとおもう。
 弁天町を素通りし、早稲田通りに出て、再び奥まった路地に入る。坂を上って洋館風のハイカラな小学校の前を通り過ぎ、団地やアパート、住宅に周囲を囲まれたところから、一瞬、左手に視界が広がると漱石山房跡地がある。今はきれいに整備されて公園になっている。入り口には漱石の胸像があり、その奥には晩年の漱石が暮らしていた住まいの回廊の一部分を再現したものが用意されている。俳諧趣味から和風の建物をイメージしていた。が、レプリカのそれは白い板の張りの洋風の印象があり、軽く裏切られた。
 歩いて暑かったので背広を脱いで出入り口をうろうろしていると、管理小屋から係りのおじさんが出てきて地図をくれた。漱石に限らず、新宿区に関した歴史を散策するための地図で、手に持って歩くにはちょうどよい。手製の地図よりだいぶ扱いやすく、その後の行程が助かった。
 その後、地図に従い夏目坂と小倉屋、誓閑寺を通る。残念ながら生誕の地のオベリスクは気づかずに通り過ぎてしまう。それからの舞台になった神楽坂まで歩いていこうと思ったが、疲れて断念する。どこから乗ったか忘れたが、新しくできた副都心線に乗って雑司が谷まで。墓を見てくる。かなり目立つ大きな墓でだった。すでに老齢の夫婦の先客がおり、興味深く碑銘を読んでいた。
 そんなこんなで、寿司を食って帰る。