漱石/古事記注釈第5巻/エリクチュールの零度

漱石―母に愛されなかった子 (岩波新書)

漱石―母に愛されなかった子 (岩波新書)

 「俺がいれば迷惑なんだろう。じゃぁ、おれから消えてやる。」の理屈。そういうリセットすることで、関係の継続を無効にするという。自殺の理屈も同じ理屈で強制リセット。いなくなることにおいては、いなくなる人間にとってみれば、立ち去ることも自殺も同じ構造を持つ。前期と後期の三部作の人も坊ちゃんも現実と向き合わないで、継続する関係から生じる軋轢や葛藤逃げている。道草あたりでは、逃げることができない現実にしぶしぶ付き合っている感を受ける。
 そういった漱石が描く逃げる主人公・人物の根底には、幼少時、実家に戻っても自分は邪魔者、厄介者と感じ続けて蓄積されてきた「俺がいれば迷惑なんだろう。」の理屈が、物語の人物の行動を逃避的にさせてきたのかもしれない。と、読んでいて思った。というか、書いてあったような気がする。

 

 欠史八代のところを読むのは辛い。補考「すうぜい天皇から開化天皇に至る八代の意味」:皇別の臣姓の由来をこの八代にあると指摘し、政治上の作為云々。読んでみて、意味のなさそうな場所に、俄然、意味が出てきたので、我慢して読む。苦行。
 出雲大神を祭る、大物主を祭る、伊勢神宮を祭るの理由を神代でその由来を示してあったものを人代で反復して由来を述べる構造があり、このことについて本に書いてあったけど忘れた。あとで探そう。

エクリチュールの零(ゼロ)度 (ちくま学芸文庫)

エクリチュールの零(ゼロ)度 (ちくま学芸文庫)

 なんか分からないうちに字面だけ追った。そういうことがあって、そういう枠組みの中でなんだか気づかないうちに制約されて、このブログのこの文章を本人が書いている。ってこと?分からない。